【春木屋理論】「荻窪ラーメン戦争」の思い出と、その意味を考えるほどに味わい深い老舗ラーメン店の教えとは?(中篇)

周辺雑記

こんにちは、くまです。前回の続きになります。

「荻窪ラーメン戦争」が世間を賑わせていたことを少し遅れて知った私くまは、寒空の下1時間以上かけてたどり着いた名店「丸福」の店内を見て

ここは・・・まるで「道場」のようだ・・・。

と思いました。

記憶の中の店内は、Ⅼ字型のカウンターのみ約8~10席。

寡黙な店主とそのアシスタントはカウンター内で黙々と作業中。

客席にはラーメン摂取中の者、あるいは壁を睨みつつラーメン投下を待つ者、あるいは私同様に店主にどうやって声を掛けたらいいのか戸惑っている者・・・。

丸福のラーメンをめぐって様々な状況にある者たちがたまたま一堂に会している、その様子を何に例えればいいか考えていたんですが・・・

そう!「名門の剣道場で、剣の達人との手合わせの順番を待つ者たち」のような感じでした。

とにかく印象的だったのは、注文の時以外には誰一人ひとことも声を出していなかったことです。

「・・・すいません。玉子そばください」とシンプルに注文して待つことしばし、

待望の玉子そばが目の前に置かれました。

空腹と寒さで体が玉子そばを渇望していたこともあり、グルメ雑誌の写真でしか見たことのなかった玉子そばが目の前にあるという状況に・・・どういったらいいか「うれしい」とかの感情はもはやなく、なぜか

「ありがとう」

といった気持になっていたように思います。

・・・食した感想は・・・。

今でも店舗がある「春木屋」と違って「丸福」はもう既にお店が存在しないので、記憶の中でかなり美化されている部分もあるとは思いますが・・・大げさでなく、本当に三十数年前のその当時に頭に浮かんだのは・・・。

「・・・これは・・・交響曲を聴いているかのようだ・・・・・・!」

最初にスープを口に含んだ瞬間に体中に喜悦がゆっくりとあふれ出し

次に麺、そしてひき肉を身にまとったもやし、

あるいは固くゆでられて黒光りする玉子と食すほどに感動が重層的に盛り上がり、

最後に残しておいたチャーシューとシナチクを交えたすべての具材を混然と食す頃には

すべての主題が様々な楽器で高らかに奏でられているかの感動を

・・・味わうことができたのでした。

そのあとどうやって帰宅したのかは覚えていません。

考えてみれば、今現在あれくらい美味しいラーメン店はきっとたくさんあると思います。事前に仕入れた情報で期待値が高まり、寒さと待ち時間で渇望が増幅されたという見方もできるでしょう。

それでもやっぱり美味しかった「丸福」の「玉子そば」。

昭和の終わりに出会えた、私くまにとって忘れることのできない青春の思い出の一杯です。

・・・だいぶ長い項になってしまいましたが、次回はついにもう一つの名店に関連する「春木屋理論」についてお話させていただきたいと思います。

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