【春木屋理論】「荻窪ラーメン戦争」の思い出と、その意味を考えるほどに味わい深い老舗ラーメン店の教えとは?(前篇)

周辺雑記

こんにちは。くまです。

1980年代半ば、つまり昭和の終わりごろ、東京都杉並区荻窪という地で「荻窪ラーメン戦争」が勃発しました。

・・・という話にピクンと反応したあなたは、間違いなくアラフィフ以上の方でしょう。

くま自身はあまり観ていなかったんですが「愛川欽也の探検レストラン」というテレビ番組で火のついたこの騒動は、もともと人気ラーメン店が多く存在していたJR中央線荻窪駅周辺をいわば「ラーメンの聖地」と化してしまいました。

番組で取り上げられて特に有名だったのが「佐久信」。なんと当時コピーライターの第一人者、糸井重里氏が「突然、バカうま。」というコピーを書くまでの騒ぎだったんです。

青梅街道沿いにあったこの「佐久信」を挟むように二つの名店がありました。この店をその名店のような行列店にするためにはどうしたらいいのか・・・というのがテレビ局がこの騒動を盛り上げやすくした基本構造でした。

その二店というのが「丸福」と今回のテーマにさせて頂いた「春木屋」です。

その当時大学生で、中央線文化圏に住んでいたくまは、今思えばその騒動が少し下火になりかかった頃にようやく

「・・・ん?なんだか荻窪でラーメンが大変な騒ぎになっているらしいぞ」

と、いう雰囲気を遅ればせながらに察知して、単身荻窪を訪れる決意を固めたのです。

正直、映画館があるか友達が住んでいるかのどちらか以外の理由で駅を降りるなんてことあまりない経験でしたので、上京してから確か二回目くらいの荻窪訪問となりました(一回目は当時、そのころから既に圧倒的にディープな存在感を醸し出していたことで有名な喫茶店「邪宗門」で珈琲を飲んだ思い出があります)。

荻窪駅北口出口へ向かう階段を登り切ると、今とは少し違う、「ヤミ市」のような雰囲気を漂わせた町並みが見えてきました。たぶん11月か12月、けっこう厚着の人が多い日だったように記憶しています。

バスのロータリーを横切り、青梅街道沿いの通りを新宿方面に曲がると・・・すぐに行列が目に飛び込んできました。

その日の私の目当てのお店は「丸福」の方でした。

もちろん「春木屋」も「佐久信」も知ってはいたんですが、初めての荻窪ラーメンを食べる前にいろいろな本を読んでみて、その野趣あふれる外見にほれ込んで

「今回は丸福の玉子そばにしよう~っと」

と、軽く考えていたのです。

(*今現在北口商店街の中にある、黄色いのれんの丸福さんは私が行ったお店とは違う系列のようです)

・・・お世辞にもキレイとは言い難いそのお店を先頭に・・・20人くらいは並んでいたように覚えています。

「えええ~っ。こんなに並ぶの~???」

当時まだ20歳ころのくまは、この時まで食事のために行列に並んだことはありませんでした。

この行列の最後尾に今から並んで、実際に玉子そばにありつけるのは何分後、いや何時間くらいなんだろう・・・。

松屋の牛めしでも食べて帰ろうかな・・・。

などと、二、三分は考えたような気がします。

・・・それでも、今回はわざわざ丸福で玉子そばを食べようと決めて電車賃を払ってきたのだから・・・と、自分に言い聞かせて思い切って行列に並びました。

ちょっとだけ大人になったような気がしました。

行列に並んで見えた光景を今思い出してみると・・・、令和の現在とはあきらかに違う景色があったように記憶しています。

「野郎しかいない・・・」

今でこそラーメン店の行列に女性が並ぶなんて当たり前ですが、その日の行列には男性しか並んでなかったはずです。この記憶には自信があります!

男たちは何事か思いつめたように押し黙って並んでいました。

正直、並んでいる間の記憶はあまりないのですが、遅々として進まない行列にため息をつきながら「もう少し厚着をしてくるべきだった・・・」とか考えていたように思います。

最低1時間は並んだと思います。

ついに行列の先頭に到達しもうひと時待っていると、ついに食べ終えた人がお店を出てきました!

すぐに店内に入ると・・・くまがそれまで飲食店で全く経験したことがしたことがない雰囲気・・・例えるならまるで「道場」のような雰囲気でした。

・・・中篇へ続きます。

タイトルとURLをコピーしました