こんにちは、くまです。
まさか三回に渡って書くことになるとは思ってなかったんですが、自分でも思いかけず当時の荻窪のラーメンについての思い出があふれ出してしまいました。
今回こそ「春木屋理論」について書かせていただきます。
前回までに書いた「丸福」についての思い出ですが、実はその隣(か、更にその隣)にあったのがいっとき大評判だった「佐久信」でした。
しかし、「丸福」を訪れた時の私の記憶では「佐久信」には行列はありませんでした。
「春木屋」はもう少し新宿寄りに離れた先にあったので明確に記憶はしていないんですが、「丸福」と同じくらいは行列が存在していたと思われます。
・・・で、全国ネットのTV番組で仕掛けられたブームであったことを差し引いても、とにかく荻窪のラーメンが一大ブランドであった時代から30有余年・・・、あの三店舗の中で今でも当時と変わらず存在し、なおかつ行列店であり続けているのが「春木屋」です。
私くまは、前項で書いた「丸福」訪問の10年くらいあと(1995年頃)に杉並区に転居することになったことであのブームの頃を思い出し、ようやく訪問させて頂くことになったんです。
休日のお昼過ぎだったと記憶しているんですが、そのときは行列なしで入店することができました。
「丸福」とはまた違う、正統派中華そばといった感じでたいへん美味しかったんですが・・・、あの頃から比べて私の舌もある程度肥えていたためか、「普通のとてもおいしいラーメン店」以上の感想はありませんでした。
それでもやはりおいしいことには変わりありませんしせっかく近くに住んでいるので、荻窪の他の名店「漢珍亭」や「丸信」(「丸福」ではありません)とともに何度か通い詰めました。
たしか「佐久信」は既に閉店しており、また「丸福」は相変わらず行列があったのと初めて食べた時の感動が上書きされるのがなんとなくいやだったためか、訪れることはありませんでした。
それからまた少し時間が経過して・・・約10年前に静岡に引っ越してきた後に結婚することができたんですが、今から7年ほど前に妻と東京に旅行に行った際、久々に「春木屋」に行ってみました。
お盆休みの頃でしたが、20分くらい行列に並んで久々に頂いた中華そばは相も変わらずとてもおいしいものでした。妻もとても満足してくれました。確かにまた行ってみたくなる味でした。
・・・それからしばらくして、妻が「ねえ、こんな動画みつけたよ!」と教えてくれたのが、ラーメン評論家 石神秀幸さんが春木屋について語っておられる動画でした。
それはこんな感じの内容でした・・・。
春木屋でラーメンを食べ終えたお客さんが
「いつ来ても変わらずおいしいね」
と、声をかけてもらえると
店主は「ありがとうございます」と答えながら・・・内心ニヤリとするそうです。
なぜなら味が変わっていないからおいしいのではなく、
少しずつ味に変化を加えているからいつもおいしく感じられる・・・からなんだそうです!
そういえば私自身そうだったように、お客さんも日々おいしい食べ物に触れるたびに舌が肥えていくはずですよね。
昔の味をそのまま守っていると、それだけで「味が落ちた」と思われる。
だから少しずつ味に変化を加えている・・・。
・・・これが「春木屋理論」です。
深いですね~。
考えてみるとものごとすべてに当てはまる考え方です。
現状が素晴らしいものだと、それを「変えたくない」という気持ちになるのは当然ですが、しかし周囲もまたより良く変わっていく。
そのなかで自分を変えないと周囲の変化に追いつかれ、やがて平凡なものに、ついには遅れたものになっていく・・・。
つまり「現状維持・・・それは実は後退」ということですよね。
かつては行列の絶えなかった「佐久信」「丸福(青梅街道沿いの私が行った方)」ともに閉店の憂き目にあっているという事実が、この理論を裏付けているように思えます(もしかしたら他の原因があったのかもしれませんが)。
私くま自身も時々、今の若い方たちの文化に接した際に、それを受け入れられない気持ちが沸き上がることが増えてきました。
それが以前からあるものの単なる否定ではなく、以前からあるものを踏み台にしてできたものであっても、受け入れたくない気持ち・・・。これって私が若い頃に親を含む年長者に対して感じていた「老害」そのものなのかもしれません・・・。
・・・ときどき感じる自分の中のそうした感情と、7年前に出会った「春木屋理論」。
こじつけの様に思われるかもしれませんが、その折り合いをつけるために始めたのがこの「くまブログ」です。
「50歳代半ばにして何か新しいことを始めて変化してみたい」
・・・始めてみました。
いつもつたない文章にお付き合いいただきありがとうございます。これからも「春木屋理論」を忘れず、変化していきます。
お読みいただきありがとうございました!